11月13日(日)アロエ・メス(推定13歳)遠い天国へと旅立っていきました。

平成28年4月25日に保健所から引取って7ヶ月
高齢、皮膚炎だったことから 殺処分されてこの世にはいなかった子だったかもしれません。

引取った当初から心臓がとても悪く、毛が抜けて、皮膚もボロボロでした。

引取ってから1カ月後に、心臓病から肺水腫(肺に水がた溜まる)余命宣告を受けていつ亡くなってもおかしくないと言われていました。

腹水が溜まり.腹水を抜いてもらうために週1のペースで、病院に通い体重7キロ程のアロエちゃんの体から多いときで、1.6リットルの水が抜けたこともありました。

最後の時がくるまで幸せに過ごしてほしい
残された命の日々を自宅のフリースペースをゆっくりのんびり気ままに過ごして…

食べやすく柔らかくした高栄養の美味しくしたご飯も毎日いっぱい食べてそれなりに元気に過ごしていました。

強心剤、利尿剤と複数の服薬の効果なのか腹水の溜まる量が減り、苦しさから解放され、改善され順調に維持されていると思っていたのですが
命の限界 旅立ちの前日
今月12日(土)の朝からいつもと違う開口呼吸して苦しそうだったので死期が近いなどと思ってレンタルした酸素器(酸素濃縮器)を準備しました。

少しでも呼吸が楽になれるようにアロエを酸素室に入れて、酸素室の横にマットを置いて私は横になってアロエを見守っていました。
ケースの中に入れられて、不安げなアロエ(↑写真12日夜撮影)生前最後のものとなりました。
また良くなって、家へ連れて帰れると思っていました。
亡くなる日の朝、ご飯もいつもと変わらず完食していました。

13日(日)家族募集開催日、自宅に帰宅すると、いつもより重症に思えたので、動物病院へ急いで向かい、移動するときは、アロエの腹部を圧迫しないように慎重にして病院へ搬送。受付終了ギリギリに到着して。
アロエちゃんの診察の順番がきて、待合室で 検査を待って、しばらくすると、慌てた様子で呼ばれ、案内された先へ行くと、診察台の上に横たわって目と口を半開きになって人工呼吸器の管を着けられているアロエの姿でした。

検査している途中に急変したそうで、心肺蘇生(心臓マッサージ)処置をしてくれましたが意識は戻らないまま亡くなってしまいました。

年を取って捨てられ、心に傷を負い、辛い検査や治療に耐えて 強く生き抜いたアロエちゃんのことをどうか皆さんの心に留めておいて欲しいです。

緊急用に持っておきたい携帯用酸素吸入器
いつもお世話になっているレンタルペット用酸素ハウス有限会社イーストワークス


続く悲しみ
悲しみや疲れから落ち込んで机に顔を伏せていたら、服を引っ張られ、顔を上げて見ると、心配そうな表情をしたミッキーがいました。
普段、警戒心の強いミッキーなのですが、感情や気持ちが伝わるのか、気のせいかもしれません。
ありがとう ミッキー


10月26日 のん太 オス、天国へ旅立っていきました

保健所から引取り、アニマルピースに来てから2年4カ月 引取った当初から両目とも視力がありませんでした。

おっとりした性格の良い子でした。
目のこと以外は病気もせず、他の猫たちと仲良く過ごしていたのですが
今年6月に片目の検診へ、他の検査をお願いして、猫伝染性腹膜炎(FIP)と診断、胸水が溜まり、余命宣告を受けました。

余命宣告から、4カ月間は、自分でご飯を食べて頑張っていましたが食べる量が減り、数時間おきに少量を、シリンジで与えていました。
▼去年10月頃 ▼余命宣告後の のん太
葛藤と後悔
強制給餌とは、強制的に食べさせること。
嫌がるのん太を押さえつけ、食いしばる硬く閉じた口の犬歯の間から食べたくない物を無理やりこじ開け、シリンジに事前に詰めておいたa/d缶(栄養食)を流し入れる行為。

最初はゴロゴロと甘えていた のん太は、精神的に心を閉ざし・・・
この行為をとても嫌がり、「嫌なことしないで」と、私と目を合わせることもしなくなり、顔を伏せて拒否するようになりました。
嫌がるのん太に虐待をしているような気がして、辛い気持ちでした。

強制給餌をしてから約2週間後、のん太は、亡くなりました。
自然の成行きに逆らって、終わろうとしている命を余計な苦しみを与え、長引かせていたこと。
のん太が余命宣告を受けてから3ヵ月も頑張り、もしかしたら奇跡が起きるかもしれない期待が結果的に、辛い思いをたくさんさせてしまい

好きな場所で安心して静かに楽に逝かせてやれば良かったと、後悔でいっぱいです。




10月23日 (かいくん) オス、天国へ旅立っていきました

後ろ足を引きずる歩行障害があり、ガリガリに痩せ、意図的に捨てられたと推測します。
保健所から引取って2年5カ月
捕獲により、保健所に収容されていました。
▼保健所収容時の画像 ▼アニマルピース管原の自宅で過ごすかいくん。
甘えん坊だったかいくんは、私の後を着いて来ていつも私の側にいたがる子でした。

今年5月から後足が全く歩けなくなり、お尻が地面に着いたまま座った状態で引きずり、引きずったところが傷になってしまいました。
舐めて傷が広がり 化膿しないように、患部の保護のため、カラーを付けていました。
寝かせるときも、患部を下にしないようにしていましたが、寝返りをして傷が治りにくくなっていました。

夏期は、傷口が化膿して、グジュグジュして、蛆虫が湧く心配があったため、水分を吸収して乾燥しやすい薬用ベビーパウダーを使用していました。

カラーを着けている間、身動きが制限され、亡くなる日までの長い期間、カラーを外してあげることが出来ませんでした。

▼かいくんの車椅子注文のため、向かう途中の車中のかいくんの様子。
▼車椅子を装着したかいくん。
自由に動き回れることが嬉しかった様子。
満面の笑顔で、嬉しそうに思いっきり走り回っていました。

しかし、車椅子に乗る様になってから6カ月後に天国へと旅立っていきました。
かいくんの車椅子を作って下さった チビ太さんに感謝と、
ほんの僅かな期間を、かいくんが幸せに過ごせたこと。
たくさんの方々に支えてくださったことを感謝の気持でいっぱいです。

命を粗末にする人や無責任な人の手に渡さないよう。
いつの日か世の中が変り、不幸な子がいない社会になる日が来ることを願っています。





犬に噛まれて亡くなった子猫
アニマルピースから引取られていった犬の里親さんから「飼い犬が猫を噛んでしまい、どうしたら良いか、やっとの思いで引離したけれど、猫が怪我をして病院へ連れて行きたいけれど、猫が威嚇して、怖くて捕まえられない」と慌てた様子で、夕方に連絡がありました。

「私が向かうまで、猫が逃げないように、かごを上からかぶせて寒くないように上から毛布かタオルを掛けてあげて」と伝え、夜に、里親さんのご自宅に到着。

かごの中を覗いてみると、3ヵ月くらいの小さな子猫で、噛まれた恐怖からか、興奮していました。

病院へ早く搬送するために自宅で準備した、ファスナー付の敷き布団用のカバーに猫が入っているかごの下をくぐし、かごごと、カバーに入れて、急いで病院へ向かいました。

仙台獣医師会開業医の夜間救急動物病院へ搬送、検査と応急処置をしてもらいましたが、2時間後に、病院で亡くなりました。
飼われていた猫なのか?

どこから来たのか、迷い猫なのか

寒さの中、何日過ごしていたのか?

お腹を空かせてご飯を探し、寒くてあたたかい場所を探していたのかもしれません。
子猫は警戒しないで、犬に近付き噛まれたと思います。
子猫を見付けた日時 10月19日水曜日 夜6時半頃
見付けた場所 仙台市若林伊在
生後3ヵ月くらい 性別不明です。
首輪は着けていませんでした。




7月15日(金)うどちゃん・メス(推定13歳)遠い天国へ旅立ちました。
平成27年3月20日に保健所から引取って1年半。
引取って1年が過ぎた頃に、左肩部に腫瘍を見つけ、
左肩部腫瘤・上皮性悪性腫瘍・悪性毛包上皮腫、左浅頚リンパ腫、悪性リンパ腫により余命宣告を受けました。

小さかった腫瘍が進行が早く、こぶし大程に大きくなり、切除が難しいと言われ、
癌が肺に転移して治療の施しようがありませんでした。

最期の時まで穏やかに暮らせるように腫瘍による「痛み」を緩和し、ストレスを与えない抗がん剤治療をしないステロイドを服用していました。
腫瘍の影響で痛みがあり、立っていることが辛そうで呼吸も苦しそうでした。
自分の終わりが解っているのか私の足元に来るうどちゃん。

過ごした家を確かめるようにゆっくり歩くうどちゃん(写真:亡くなる4日前)
うどちゃんは元々右足が悪く、左肩部の腫瘍により、両足共、痛みに耐えていました。
足に負担を掛けないように玄関に踏み台を置いて過ごしやすい環境作りを心かけていました
とうとう限界となり、長い眠りにつきました。




6月23日(木)(にーちゃん、メス) 天国へと旅立ちました。
3年前、名取市内の小学校の校舎に迷い込み、学校職員さんから相談を寄せられ引取りました。

にーちゃんは、検査によりエイズ陽性だったため、猫のいる部屋に加えることが出来ず、一部屋に1匹だけにして約2年半、部屋を自由にして過ごしていました。

今年3月に引取った成猫(パンチくん)が白血病陽性と診断され、
にーちゃんが居た部屋にパンチくんを置き、にーちゃんは、数匹居る別の部屋へ移動
にーちゃんが移動した部屋でストレスの無いように、部屋から外(柵で囲われたテラス)へ出られるようにして。

脱走防止のため、鍵を掛けたままだった窓には、網戸を破って逃げないように網戸にプラスチック製のネットを貼り付けて、外を眺められるように改良しました。
▲一部屋を二つに区切り、テラスも扉を付けて二つに区切り(扉はアルミ製の枠にプラネットを貼り付けました)
▲プラネットはダイシン店
  で購入
▲脱走防止のため、閉めたままだった扉。 網戸にプラネットを貼り付けました。
にーちゃんのために部屋を改良して…。
にーちゃんの様子の変化が無いように見えたのですが、移動のストレスが少しずつ蓄積して死に至ったのだと思います。

ボランティアさんに協力してもらい、にーちゃんを病院へ連れて行ってもらいましたが、病院へ到着したときはにーちゃんは亡くなっていました。

多頭飼育によりにーちゃんの異変に気付くのが遅れ、死なせた原因になってしまいました。
引取って数日後のにーちゃん




(トラミ) メス 引取ってから1年  5月24日に天国へと旅立ちました。
飼い主が亡くなって
長年一緒に暮らした飼い主(一人暮らしの男性)が亡くなり、当時(トラミ10歳)と(ミーコ 15歳)は飼い主と住んでいた家を失い行き場を無くし、2匹を引取ることになりました。

2匹は、慢性的な風邪の症状や鼻炎があり、ともともと痩せていたので、とても心配でした。
育ててくれた唯一の大切だった飼い主を突然に失った悲しみから起こる 環境の変化が緊張と不安、ストレスにより、ご飯を食べませんでた。

少しずつでも、新たな環境に慣れてストレスが無いように過ごし易い環境をつくりを心掛けていましたが…

数日間点滴入院をすることになり、処置のおかげで回復はしましたが、再び、食欲が低下して、数種類の缶詰やフードを与え、出来る限りの手を尽くしましたが・・
我が家は多くの保護犬や保護猫がいるため、落ち着くことも出来ず、居心地が良くなかったのかもしれません。

食欲減退も少しずつ悪化して 静かに息を引き取り静かな最期となりました。

猫が居ないお家なら、安心して、お腹いっぱい食べて長生きしていたかもしれません。

トラミの訴えや気持ちが読みとってあげられれば。
甘えん坊だったトラミは、いつも私の側で寝ていました。。
寝てる私の顔の前でよくくしゃみをして、鼻水が顔に吹き飛んできてその度に何度も起こされていました。
私がトラミの死を早めたような気がしてなりません。

トラミちゃん ごめんね。
いつかまた会えるかな。

飼い主との突然の別れ、残されたペットたち
身内が少なく家族の縁にも乏しく、飼い主が重い病気を患って育てる事が困難になったり飼い主が亡くなる突然の別れ。

育ててくれた飼い主に対し深い愛情を持ち、残された犬、猫にとって、とても辛い別れとなります。

若齢の子には、里親候補が現れるかもしれませんが年老いた高齢の場合は里親候補が少ないのが現状です。
飼い主の存在が無い又は飼い主を亡くした老齢や高齢の犬猫には里親候補が無いまま最期を送ることになるのです。





4月2日(土)朝、ささ メス(推定16歳) 遠い天国へと旅立っていきました。
保健所に収容され、老犬に譲渡先が見つかる可能性はほとんど無く、殺処分を待つばかりとなっていました。
(当会改名 ささちゃん)は、高齢になり、放棄されたと推測されます。

(写真:去年1月に保健所から引取った当初のささ)高齢により両目視力も無く、身体も不自由だったことから、里親さんは探さず、終生面倒を看ると決めて引取った子でした。
ささちゃんは小柄で、物静かな優しい子で、手の掛からない可愛い子でした。
亡くなる1カ月くらい前から後足が衰え、歩くことが困難になり、転倒してしまうと、起き上がれなくなって、寝ている姿勢を嫌がり、手足をバタバタともがき、歩行器(補助)に乗せていましたが思うように身体を動かせない不満といら立ちでストレスになって、鳴いて訴える(叫ぶ)が日常でした。

介護の世話を含め、一生の面倒、最期を見届ける覚悟が持てないのなら飼うことを止めて下さい。
高齢になると、足腰が弱くなったり、痴呆の症状がでるかもしれません。 
それでも、きちんと面倒を見ることが出来ますか?  外出や旅行も制限されます。

犬を飼うという事はそれだけ重い責任を負うということなのです。
(写真:亡くなる前日)
普段は食欲旺盛でしたが、亡くなる3日前から突然に食べる量が減り始め、そろそろ旅立ちの日が来る予感がしていました。

亡くなる当日2日の朝、ささちゃんは、私の姿を確認して、静かに息を引取り旅立って逝きました。
アニマルピースで過ごした1年間、たくさんの幸せはなかったけれど、最期はボランティアの方々とみなさんからの温かいご支援や、優しさを十分に感じ、ほんの少しでも「幸せ」を感じてくれた瞬間があってくれたと思います。
応援してくださった皆さまに感謝いたします。